はじめに
表1.農薬と食:安全と安心(食の安全性)に関する講演・講義(2003 年10 月以降)ならびに著書・文献リスト
質問 1 :なぜ農薬は「悪いもの」と思われるようになってしまったのですか?
質問 2:1971 年頃BHC,DDT などは,作物に残留し,母乳から検出されたとありますが,これは「人体に害を与えていた」ということですか?
質問 3:質問2 のせいで,「農薬に対する不安」ができ,「農薬は悪いもの」と思われるようになってしまったのですか?
質問 4:農薬は本当にガンとは関係がないのですか?
質問 5:劇物や毒物に分類される恐ろしい農薬を使って栽培された野菜は怖いです.なぜ,まだ使われているのでしょうか?
質問 6:農薬は毒性が強く危険です.なぜ,そんな危険なものを使うのですか?
質問 7:農薬によるアレルギーやアトピーが増えているのが心配です.
質問 8:「農薬は虫を殺す薬品なのだから,人間に対し害があると考えるのは当然である」と思うのですが?
質問 9:農薬の影響に関して,農薬を散布した作物を食べる消費者や環境に対する影響を心配する声はよく耳にしますが,農薬を使用する栽培者に対する影響にはあまり気遣っていないように感じられます.
質問 10:医薬品についても許容1 日摂取量(ADI)という基準があるそうですが,農薬に関するADI と考え方に違いがあるのでしょうか?
質問 11:農薬の中には作物に対する残留基準がないものが多く,それらの農薬が野放しで使用されていて,危険ではないでしょうか?
質問 12:輸入農産物には残留基準を超えるものが見つかっており,人の健康にとって危険ですよね.もし,誤って食べたら中毒になるのではないかと心配です.どうなんですか?
質問 13:中国など外国からの輸入農産物は,農薬で汚染されているので危険です.出来るだけ国内産の野菜を食べるようにしています.
質問 14:どのくらい洗えば農薬は落ちるのですか?調理すれば農薬はなくなるのでしょうか?
質問 15:われわれ消費者は残留農薬を含む食品を毎日食べています.健康に問題がないのでしょうか? 心配です.
質問 16:得体の知れない外国産農薬が個人輸入され使用されているようですが,問題ないのでしょうか? 使っても大丈夫ですか?
質問 17:国内で使用禁止になっている農薬を海外に輸出している企業があるそうですが,問題ではないでしょうか?
質問 18:先生の説明によれば,作物への農薬の残留には問題がないようですね.国民の農薬摂取の実態にも問題がないようですね.それでは,なぜ,国や地方の行政は『農薬を使用しない農業』や,『農薬の使用を半分にする農業』を推進するのでしょうか?国はやはり,残留農薬は人の健康に悪影響を及ぼしていると判断しているのでしょうか?
質問 19:残留農薬に関するポジティブリスト制度とは(講演会における聴衆からの質問)何でしょうか.横文字の耳慣れない言葉ですね!
質問 20:『農薬は怖くていや,でも虫食い野菜もいや』というのは消費者のわがままでしょうか?
質問 21:農薬は人の健康に悪いと言われておりますが,農薬を使わないで,安定した農産物の生産ができるのでしょうか? 農薬を使用しない場合の被害はどの程度になりますか?
質問 22:無農薬栽培の作物が必ずしも安全とは言えないと伺いました.本当ですか?
質問 23:残留農薬を心配していましたが,友人から食べ物に含まれる天然の毒のほうが怖いと聞きました.本当でしょうか?
質問 24:有機栽培を続けるのは極めて困難です.これまでのお話を伺って「農薬の安全性」ということはよく理解できました.「慣行栽培でも農薬を正しく使えば消費者の健康に悪影響はないようですね.しかし,それでは有機栽培は無用なんでしょうか? われわれは,こ れまで無駄なことをしてきたのでしょうか?」
質問 25:病害虫に抵抗性の品種を育成すれば,危ない化学合成農薬を使わなくてもすみますよね.研究は進んでいるのでしょうか?
質問 26:DDT による薬害の話を聞きました.DDT は人の健康にとっても悪い薬です.現在も使われているのでしょうか?
質問 27:「環境保全型農薬技術」とは耳新しい用語です.環境保全型農業との関係を説明して下さい.
質問 28:農薬にも環境ホルモン作用があると言われております.そのような農薬は禁止すべきでないでしょうか?
質問 29:野鳥のトキは農薬のせいで絶滅したと聞きました.ほんとうでしょうか?
質問 30:メダカが減ったのも農薬のせいでしょうか?
質問 31:リスクコミュニケーションが重要とよく言われますが,どのようなことでしょうか? 教えて下さい.
質問 32:遺伝子組換え作物にはどんなものがあるのですか? 病害虫に強いといわれている「遺伝子組換え作物」は人の健康に問題はないのでしょうか? 遺伝子組換え作物の導入により農薬を使う必要がなくなると思いますが!
おわりに
昨今の世界的な環境問題への関心の高まりのなか,地球環境保護が叫ばれ,農業の分野においては,環境保全に配慮した農業,すなわち「環境保全型農業」が推進されるようになった.わが国においては,一般に「農薬や化学肥料が環境汚染の源であり,国民の健康にも悪影響を及ぼしている」という認識が主流をなしているが,長年地道に農薬や肥料の研究に携わってきた研究者との間には異なった認識も存在するように思われる. 果たして,農薬の使用が,一般に言われるほど,事実として環境や農産物を汚染し,人の健康にも悪影響を及ぼしているのであろうか. 一般の方々に農薬そのもの,および農薬を使用して栽培される作物やそれらの加工食品の安全性を正しく認識していただくためには,農薬や残留農薬の安全性あるいは潜在的危険性に関して,科学的視点に立脚した検証が必要である.そのうえで,その結果を正確に,かつわかりやすく一般の方々に伝え,納得してもらう過程が必要である.また,このことは国が農薬の使用をどのような理由によって承認し使用方法を決めているのか,そのうえで都道府県が農薬の使用方法の指導などを行っていることに対し理解を深めることにつながる. 筆者はこれまで長年にわたり,「農薬に対する社会の認識」,「農薬の開発と安全性評価システム」,「残留農薬と人の健康との関係」,「天然物と残留農薬の安全性比較」,「有機農産物の安全性と農薬使用との係わり」,「食の安全性における残留農薬の位置づけ」,「ゴルフ場で使用される農薬 と人の健康との係わり」,「内分泌撹乱化学物質と農薬との係わり」,あるいは「農薬の安全と安心とリスクコミュニケーション」などについて,全国各地で講演活動を行ってきた.また,解説書の出版や解説記事の投稿も行ってきた(表1 のリスト参照).その際には,聴衆や読者に“農薬や残留農薬と人の健康との関係”を正しく理解していただくことに力点をおいて,解説を加えてきた.しかしながら,極めて専門的で複雑な安全性評価のシステムや安全確保の仕組み,ならびにそれらを踏まえた農薬と人の健康との関係を専門外の消費者や農業従事者の方々に理解していただくことは容易ではない.特に一般消費者からは,「図表が沢山入った資料を示されても,それだけで混乱して読む気も,聞く気も起こらない!」との声をよく耳にする. そこで本稿では,筆者がこれまで全国各地で行った「農薬の安全性」に関する講演会,パネルディスカッションや大学における講義で出された質問やコメント,ならびに拙著に寄せられた質問に対して答えた筆者なりの回答を“図表なし”で示したい.極めて初歩的な質問から,少々専門的な質問まで広範囲の内容を包含し,答えに窮する質問も含まれる.計32 のQ&A のうち,15 については拙著(農薬と食:安全と安心,表1 参照)に記載した内容について,農薬を取り巻く状況の変化に応じて添削,加筆したものである.残りの17 のQ&A については,新たに追加したものである.一般の方々に農薬を正しく,より深く理解していただくうえで,またリスクコミュニケーションをスムーズに進めるうえで,これらの疑問に対し適切に答えることは極めて重要かつ有意義と思われる. 以下にそれらの質問に対する図表を使用しない回答例を示す.なお,観点の異なる質問に対する回答が内容的に重複する場合もあることを付記する.
現在一般に使用されている有機合成農薬の始まりは,1940 年代後半におけるDDT,BHC,パラチオンなどの欧米諸国からの導入品と,その後すぐに開発された独自農薬であろう.当時の有機合成農薬の中には,薬効に重点が置かれるあまり,人畜や環境に対する配慮に欠ける薬剤も含まれていた.しかしながら,その後,今日までの半世紀以上にわたる農薬の研究開発の流れを振り返ってみると,それは正に今日社会的に求められている「人の健康と環境保全に資する農薬開発」の歴史であったことが浮かび上がる. 人畜に対し毒性が低く,昆虫,ダニ,病原微生物,雑草などの標的生物のみに卓効を示す農薬の開発が営々と行われてきた.また,人畜のみならず全ての非標的生物(鳥類,水生生物,土壌微生物,有用生物)に対する毒性が低く,標的生物のみに活性を有する薬剤も続々開発された.さらに,環境中で容易に分解する残留性の低い農薬やごく微量で卓効を示す農薬の開発,ならびに単位面積当たりの施用量を大幅に低減する施用技術の開発が行われてきた.さらに,人の健康を確保するための膨大な数と量の各種安全性試験が実施されるようになった.また,行政面,法律面でもそれらを保障する体制が整備された. その結果,現行の登録農薬は,われわれの身の回りに存在する一般化学物質や天然化学物質をはじめとする膨大な数の各種の化学物質の中でその毒性が最も詳細に調べられ,かつ正しく使用した場合の人に対する安全性が最も確保された物質となった. このように農薬は適切に使用される限り有用かつ安全であるにもかかわらず,一般の人々には人工の有機合成化学物質が有するマイナス面の代表とされ,その毒性や環境影響が強調され,それらを使用せずに生産される農産物や自然食品,天然物への要望が強く叫ばれるようになった.そのため,農薬科学の研究者や植物防疫業界に身を置く者は,ともすれば自身が置かれている立場の不運を嘆きがちである.しかしながら,むしろ『“食糧確保”と“食の安全”と“環境保全”を同時に実現する』という崇高かつ困難な任務に従事していることに対し,誇りと自信をもつべきであろう.日本農薬学会員をはじめとする農薬科学を志す方々には,社会の偏見,誤解やマスコミの無理解にひるむことなく,これまでにも増して地道な農薬の安全性に関する啓蒙活動を継続的に実施していただきたい.